マリー・アントワネットのプロフィールについて

マリー・アントワネットと言えばフランス革命で処刑された悲劇の王妃としても知られていますが、彼女のプロフィールは一体どのようなものなのでしょうか。

マリー・アントワネットはオーストリア出身であり、神聖ローマ帝国の女帝、マリアテレジアの十一女として生まれました。

そんな彼女のプロフィールとは一体どのようなものなのでしょうか。

ここではマリー・アントワネットのプロフィールについて解説します。

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14歳での嫁入り

マリー・アントワネットと言えばマリアテレジアの娘として知られていますが、彼女は14歳でフランスの王太子、オーギュストに嫁ぎました。

本来は3歳年上の姉、マリアカロリーナがフランスに嫁ぐ予定でしたが、すぐ上の姉であるマリアジョゼファがナポリ王と婚約した直後に急死したため、マリアカトリーナがナポリ王と結婚することとなり、マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐこととなったのです。

もしもこの時にマリー・アントワネットがフランスに嫁ぐことなく、他の国の大と結婚していたら、彼女の人生は大きく変わっていたことでしょう。

ベルサイユ宮殿での生活

14歳という若さで異国の地、フランスに嫁いだマリー・アントワネットは非常に孤独な生活を送っていたと言われています。

当時のベルサイユ宮殿には2,000人を超える貴族が生活していましたが、彼女理解する人は誰もいませんでした。

また、ベルサイユ宮殿には王族の食事風景が一般公開されていたり、貴族の階級によって便器の形が違ったりなど、貴族のプライドをくすぐる意味のない習慣も多く、マリー・アントワネットはそれらに嫌気がさしていたとされています。

そんな孤独を紛らわせるためにおしゃれに興じ、彼女はフランスの財政を揺るがせるほどの贅沢をしたといわれているのです。

しかし、確かに毎日のようにドレスや髪飾りを作らせていたマリー・アントワネットですが、子供が生まれてからは落ち着きを取り戻し、良い母親として生活していたとも言われています。

フランス革命

そんな中、1789年にフランス革命が起こり、マリー・アントワネットたちはタンプル塔に幽閉されることになりました。

幽閉された当初はまだ待遇も良かったのですが、ルイ16世が処刑されたことによってその待遇が徐々に悪化していきます。

マリー・アントワネットは次男であるルイシャルルとも引き離され、最終的には37歳という若さで処刑されました。

刑場に向かう直前、義妹のエリザベートに宛てて遺書に近い手紙を書いていますが、この手紙は誰にも届けられることがありませんでした。

そんな悲しみの中であっても、ギロチン台に上るときに役人の足を踏んでしまい、「お許し下さいませ、わざとでは無いのです」と品のある言葉を残したと言われています。

これがマリー・アントワネットの最後の言葉となりました。

まとめ

いかがでしょうか。

マリー・アントワネットのプロフィールを見ていると、こんな時代だったからこそ処刑されてしまったけれど、今の時代だったらどうだったのだろう、と考えてしまうかもしれませんね。

14歳という若さで違う国に嫁ぎ、孤独を感じていた悲しい王妃は、時代に翻弄された犠牲者の1人なのかもしれません。

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