マリー・アントワネットは政治にかかわったのでしょうか。
かかわったのならば、どのようにかかわっていったのでしょうか。
もともとマリー・アントワネットは政治家ではありませんし、夫であるルイ16世は政治にかかわりを持っていましたが、彼女自身は政治をする立場にはありませんでした。
しかし、マリー・アントワネットも政治にかかわることがあったのです。
それはどのような時だったのでしょうか。
ここではマリー・アントワネットと政治について解説します。
1787年以降
それまで政治には無関心だったマリー・アントワネットですが、1787年以降はマリー・アントワネットが政治に対し、積極的に口出しするようになりました。
というのは、フランス王室の財政が傾き、例えば財務総監ネッケルを罷免するなど、ルイ16世は適切な助言者や側近たちを失いつつあったのです。
そのため、ルイ16世は孤立し始めていました。
そんな夫を助けるために、マリー・アントワネットは政治に口出しを始めるのです。
王権を守る
マリー・アントワネットが政治に口出しを始めたのは、決して興味本位のものではありませんでした。
それは夫が代々受け継ぎ、守り抜いてきた王権を守るためだったのです。
ルイ16世が孤立し、王権が弱くなりつつあったため、マリー・アントワネットは自らの身を捧げて王政を守ろうとしました。
フランス革命が起こったことにより、王室の人間の立場が危険になります。
しかし、ベルサイユ宮殿に住んでいた貴族たちが亡命していく中でルイ16世に「子どもたちを連れて逃げるように」と進言しても、マリー・アントワネットは家族で一緒にいることを望んだのです。
情報漏洩
そんなマリー・アントワネットは、祖国であるオーストリアの助けを借りるためにフランス革命の動向をオーストリアに情報として流していました。
つまり、彼女はフランスの王妃でありながらフランスに不利になる情報を外部に漏らしていたのです。
マリー・アントワネットが処刑された理由の一つはこれでした。
フランスの王妃なのにフランスを守らなかった、フランスの政治をオーストリアに漏らした、ということが問題視されたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットは最初から政治に口出ししていたわけではありません。
しかし、フランス革命が始まり始めたことにより、政治に口出しを始めるようになり、それがますます貴族たちから嫌われる原因となってしまったのです。