マリー・アントワネットの墓は何処にあるのか

マリー・アントワネットのお墓は一体どこにあるのでしょうか。

マリー・アントワネットは1789年に始まったフランス革命によってギロチンにかけられ、処刑されました。

14歳でフランスに嫁ぎ、37歳でその生涯を閉じた悲劇の王妃として、今も多くの人に知られていますね。

当時は革命広場と呼ばれたコンコルド広場で処刑されたマリー・アントワネットは今はどこで眠っているのでしょうか。

ここではマリー・アントワネットのお墓について解説します。

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マリー・アントワネットの処刑

マリー・アントワネットは1793年10月16日にコンコルド広場にて処刑されました。

処刑される前日、アルイ16世の妹であるエリザベートに宛てて遺書を書き、「無実の罪で処刑されるのであれば処刑は恥ずかしくない」と述べています。

しかし、力を振り絞って書いたこの手紙は役人に託されたものの、ロベスピーエルに渡されてしまい、それは書類入れに入れてしまったためにエリザベートの元には届きませんでした。

これをマリー・アントワネットの第一子、マリー・テレーズが読んだのは1816年でした。

髪の毛を短くされ、両手を縛られ、コンコルド広場に連れて行かれたマリー・アントワネットは死刑執行人であるサンソンの足を踏んでしまい、「お許しください、わざとではないのです」と述べたと言われています。

墓の移動

処刑された後、マリー・アントワネットは共同墓地であるマドレーヌ墓地に葬られました。

しかし王政が復活してルイ18世が王位に就いたことにより、ルイ18世は兄夫婦の遺体を探させ、きちんと埋葬しようとしたのです。

幸いにもルイ16世とマリー・アントワネットの遺体は、王党派であった墓の地権者が上器で囲んで埋葬していたために容易に発見することができました。

サン・ドニ大聖堂

1815年1月21日、発見されたマリー・アントワネットの遺体は歴代のフランス国王たちが眠っているサン・ドニ大聖堂に葬られました。

夫であるルイ16世の遺体も同時に移されています。

後にギロチンにかけられたルイ16世の妹、エリザベートは他のギロチンで処刑された人々と同様にエランシ墓地に葬られ、フランス革命後はカタコンブ・ド・パリに移されましたが、サン・ドニ大聖堂には移されていません。

また、不幸な死を遂げたマリー・アントワネットの息子、ルイシャルルは亡くなった後に共同墓地に葬られましたが、医師がルイシャルルの心臓を持ち出したため、この心臓は2004年に両親と同じサン・ドニ大聖堂に葬られました。

まとめ

いかがでしょうか。

マリー・アントワネットとルイ16世は、最初こそ王家の墓には入れてもらえませんでしたが、最終的には悲痛な人生を送った息子と一緒の同じ墓に葬られました。

もしもパリを訪れる機会があったら、サン・ドニ大聖堂を訪ねてみて下さい。

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