マリー・アントワネットの母親が誰か知っていますか。
フランス革命においてギロチンで処刑されたマリー・アントワネットは、ただのフランス王妃ではありません。
彼女こそ、由緒正しい王家に生まれたプリンセスなのです。
それならば、マリー・アントワネットの母親とはいったい誰なのでしょうか。
ここではマリー・アントワネットの母親について解説します。
神聖ローマ帝国の女帝
マリー・アントワネットは神聖ローマ帝国の女帝、マリア・テレジアの十一女です。
彼女の父、カール6世は後継者を選ぶ上で苦労をしていたため、マリア・テレジアは自分は絶対に後継者で悩まないようにしたいと考えていました。
そのため、彼女には16人の子供がいたのです。
女の子が11人、男の子が5人でした。
マリー・アントワネットのお嫁入り
マリー・アントワネットをフランスの王太子に嫁がせる計画を立てたのは母であるマリア・テレジアでした。
フランスとの関係を強めるため、マリア・テレジアは娘をフランスに嫁がせようとしたのです。
本当は3歳年上のマリア・カロライナがフランスに嫁ぐ予定でしたが、ナポリ王に嫁ぐ予定であったマリア・ジョゼファが急死したため、マリア・カロリーナがナポリ王に嫁ぐことになりました。
そこでマリー・アントワネットがフランスに嫁ぐことになったのです。
マリー・アントワネットが心残り
マリア・テレジアは63歳で亡くなりましたが、亡くなる直前までマリー・アントワネットのことを心配していました。
マリー・アントワネットはフランスに嫁ぎ、フランス王妃になってもなかなか子どもに恵まれず、パーティー三昧であったからです。
兄を遣わしてマリー・アントワネットを諭し、フランス革命が起こるだろうと説いて聞かせましたが、効果はありませんでした。
そしてマリー・アントワネットのことを心配しながら息を引き取ったと言われています。
マリア・テレジアが息を引き取った後、マリー・アントワネットはようやく子供に恵まれました。
女の子だったため後継者にはなりませんでしたが、それでも子供が生まれたあとのマリー・アントワネットは生活にも落ち着きを取り戻したと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットの母は女帝マリア・テレジアであり、マリー・アントワネットは非常に家庭的な環境で育ちました。
14歳で嫁いでマリー・アントワネットですが、もしも時代が違ったら、彼女がもう少し母親の話に耳を傾けていたら、結果は違ったかもしれませんね。