マリー・アントワネットの子供のその後とはどのようなものだったのか

アリーアントワネットの子供のその後とは一体どのようなものだったのでしょうか。

マリー・アントワネット地震は37歳でギロチンにて処刑されました。

しかし、マリー・アントワネットとルイ16世の間には4人の子供がいたとされています。

それならば、その子供のその後はどのようなものだったのでしょうか。

ここではマリー・アントワネットの子供たちについて解説します。

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ルイ・ジョゼフとソフィー

マリー・アントワネットには4人の子供がいましたが、そのうちの2人、第二子であり長男であるルイ・ジョセフと第四子であり次女であるソフィーは小さいうちに命を落としました。

ルイ・ジョゼフは待望の長男であったため、生まれたときには国中が湧き、複数の乳母がつけられたのです。

しかし、もとから病弱であったルイ・ジョゼフは乳母の一人であるジュヌヴィエーヴ・ポワトリンヌから結核をうつされてしまったのです。

そして7歳半で亡くなりました。

また、ソフィーはフランス革命が始まった後に生まれましたが、4人めの子供であったということ、すでに国民がフランス王室に怒りの矛先を向けていたことからその誕生がお祝いされるという事はありませんでした。

天然痘にかかり、10ヵ月21日で死亡しました。

マリー・テレーズ

第一子であり長女であるマリーテレーズはマリー・アントワネットとルイ14世の中で唯一天寿を全うした人物です。

子供のその後、と言われるのであれば「その後」が最も長かった唯一の人物なのです。

彼女はフランス革命が起こったとき、マリー・アントワネットやルイ16世と一緒にタンプル塔に幽閉されていました。

しかし1795年7月30日、神聖ローマ皇帝のフランツ2世がフランス人補助の引き換えでマリーテレーズの身柄引き渡しに応じたことにより、彼女はウィーンに送られたのです。

彼女はブルボン家の叔父の勧めにより、ルイ16世の従兄であり、後にシャルル10世となるアングレーム公ルイ・アントワーヌと結婚しました。

父であるルイ16世の処刑に賛成していたナポレオンのことを生涯許さなかったと言われています。

ルイ・シャルル

第三子であり、次男のルイ・シャルルは4人の子供の中で最も壮絶な人生を歩んだといっても過言ではありません。

ルイ16世が処刑された後、ルイ・シャルルは母親であるマリー・アントワネットから引き離されました。

その後靴屋に引き取られましたが虐待を受け、病気になり、最終的には看病を受けますが、それ自体が遅すぎたために、10歳という短い生涯を閉じました。

呼吸困難になった時に医師に抱かれ、長いため息をついて命を落としたと言われています。

彼はマリー・アントワネットが処刑されたということを知りませんでした。

タンプル塔で父ルイ16世が過ごしていた部屋にいた時は壁に「ママ、あのね…」と母に向けた言葉を書いていたり、すでに母がこの世にいないことを知らなかったために、母が好きだった花束を母が幽閉されていた部屋の前に置いたというエピソードが残されています。

まとめ

いかがでしょうか。

4人の子供のその後はそれぞれですが、まずその後がある子供は4人の中で2人しかいませんでした。

また、その中でも天寿を全うしたのはマリー・テレーズ1人だけだったのです。

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