マリー・アントワネットが受けていたと考えられる誤解は一体なんなのでしょうか。
人間はどうしてもイメージというものがありますし、周りから理解されないということも考えられます。
例えば、同じフランス人のジャンヌダルクは異端審問にかけられ、十分な証拠もないまま19歳という若さで処刑されました。
しかし、処刑から25年が経ち、彼女の無実を証明するための復権裁判が行われたのです。
それによって彼女は無実であったということが明らかになりました。
このように、生きているときには誤解を受けていたということも考えられるのです。
それならば、マリー・アントワネットはどのような誤解を受けていたのでしょうか。
ここでは彼女が受けていたと考えられる誤解について解説します。
贅沢な生活をしていた
14歳という若さでオーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットは、結婚当初は非常に孤独な生活をしていたと考えられています。
夫である王太子、オーギュストは無口であり、妻であるマリー・アントワネットは華やかで社交的な性格でした。
また、オーギュストも16歳であり、まだまだ自分の趣味に没頭していたとも言えるのです。
そのため、マリー・アントワネットはおしゃれに興味を持つようになりました。
毎日のようにドレスや髪飾りを作らせ、そこから贅沢だったというイメージが出来上がったのです。
実際に彼女は贅沢な生活をしていましたが、子供が生まれてからは比較的堅実な生活をしていたと考えられています。
そのため、必ずしも「ずっと贅沢な暮らしをしていた」という訳では無いのです。
「パンがないならお菓子を食べれば」
マリー・アントワネットの発言として、「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」という言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。
これはマリー・アントワネットの発言としてよく知られていますよね。
しかし、最近の研究においてはこれはマリー・アントワネットの発言ではないと結論付けられています。
というのは、やはり彼女が贅沢な生活をしていた、世間知らずであった、というイメージからこのような発言が出てきたと言われているのです。
ただし、これはマリー・アントワネットの側近の発言とも言われていますし、真実のほどは明確にはなっていません。
しかしその一方で、彼女がこの発言をしたというのは大きな誤解だと言えるのです。
夫婦仲が悪かった
当時の政略結婚においては、子孫繁栄というのが重要な問題でした。
14歳で結婚したマリー・アントワネットには7年間子供ができず、これは母親であるマリアテレジアからも心配されたほどです。
さらに結婚した当初はオーギュストとうまくいかなかった、孤独な生活を送っていた、ということからマリー・アントワネットたちは夫婦仲が悪かったとも言われているのです。
しかしこれも誤解であり、マリー・アントワネットたちの夫婦仲は悪かったわけではありません。
確かに生活時間が合わず、なかなか子供に恵まれませんでしたが、だからといって彼らは仲が悪かったという事は無いのです。
フランス革命が起こり、貴族が次々とベルサイユ宮殿から逃げていく中、国王になったルイ16世はマリー・アントワネットに子供を連れて逃げるようにと進言しました。
しかしマリー・アントワネットは家族で一緒にいることを望んだのです。
まとめ
いかがでしょうか。
マリーアントワネットをめぐってはたくさんの誤解がありました。
フランス革命が起こり、人々の怒りの矛先がマリー・アントワネットに向いてしまったことにより、彼女の悪いイメージばかりが表に出てしまったといっても過言ではないでしょう。
しかしマリー・アントワネットは、14歳という年齢でフランスに嫁ぎ、革命に散った悲劇の王妃という言い方もできるのです。