マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べれば」「パンがなければケーキを食べれば」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
このお菓子というのはブリオッシュを指すと言われています。
しかしブリオッシュはとても平民が食べられるようなものではありませんでした。
つまり、パンがなければブリオッシュを食べる、という事は不可能だったのです。
そのため、マリー・アントワネットは世間知らずだったと言われるようになりました。
それならば、彼女の「パンがなければお菓子を食べれば」という言葉は本当に彼女の言葉なのでしょうか。
ここではこの言葉について紹介します。
マリー・アントワネットの言葉ではない!
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」というのはマリー・アントワネットの言葉としてよく知られています。
しかし、最近の歴史学の研究ではこれはマリー・アントワネットの言葉ではないといわれています。
当時のマリー・アントワネットは平民の生活ぶりを知らず、後からベルサイユ宮殿で贅沢極まりない生活をしていました。
だからこそ、最終的に人々の怒りの矛先が向けられ、フランス革命において処刑されたのです。
しかし、これは彼女の言葉ではありません。
マリー・アントワネットの周りにいた貴族が発言したのではないか、あるいはマリー・アントワネットのイメージから後々作られた言葉なのではないか、とも言われています。
実際は誰の言葉なのかという事は明確にはなっていません。
マリー・アントワネットは本当に贅沢だったのか
マリー・アントワネットと聞くと、どうしても非常に贅沢な生活をしていて平民の飢餓なども気にしなかったというイメージを思い浮かべる人もいるかもしれません。
確かに14歳でフランスに嫁いだ時、マリー・アントワネットはあまりの孤独から逃れるためにおしゃれに興味を持ち、毎日のように新しいドレスや髪飾りを作らせたと言われています。
贅沢をしていたというのは本当のことでしょう。
しかし、特に子供が生まれた後は母として子供の教育に携わっていたとも言われています。
貧しい者のために支援活動を行ったり、という一面もありました。
そのため、もしも彼女が平民の苦しい生活を知らされていたのであれば、まさかそのような発言はしなかっただろうという考え方もあります。
マリー・アントワネットは誤解されていた!?
このように考えると、マリー・アントワネットは当時のフランスの人々には誤解されていた可能性もあります。
平民たちは食糧難と物価高騰に苦しめられ、その怒りの矛先はオーストリアという異国から嫁いできたマリー・アントワネットに向けられました。
その時点で、良いイメージではなく、彼女の悪いイメージばかりが蓄積されていったのだろうと考えられるのです。
街中では彼女の悪口ばかり書かれた新聞が書かれたり、彼女を魔女のように描いたイラストが配られました。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットが平民の苦しい生活のことも顧みずに贅沢をしていたというのはもしかしたら誤解である可能性が大きいといえます。
特に子供が生まれた後の彼女は非常に良い母、良い妻、そして何よりも良い王妃として生活していたという見方もあるのです。