マリー・アントワネットの友人とはどのような人たちだったのでしょうか。
彼女は14歳でオーストリアからフランスに嫁ぎ、フランス国王ルイ16世の妻となり、王妃となりました。
そんな彼女の新婚生活は孤独であったと言われています。
後のルイ16世であったオーギュストは無口で、当時のベルサイユ宮殿には2,000人を超える貴族が住んでいたとされています。
そんな中、彼女は友人もおらず、独りぼっちでした。
しかし彼女にも友人ができるようになります。
ここでは、マリー・アントワネットの友人について解説します。
エリザベート
まず、マリー・アントワネットの友人の一人にルイ16世の妹であったエリザベートが挙げられます。
フランス革命が始まり、多くの貴族たちがベルサイユ宮殿から逃げて行きましたが、エリザベートは最後までマリー・アントワネットに忠実だった人物でした。
有名な漫画『ベルサイユのばら』に出てくるエリザベス内親王のモデルです。
マリー・アントワネットは刑場に向かう直前、このエリザベートに宛てて手紙を書き、役人に託しました。
しかしこの手紙がエリザベートの手に渡ることはありませんでした。
彼女もギロチンで処刑されていますが、彼女は同じく死刑判決を受けて悲しむ者たちを最後まで励ましたと言われています。
ランバル公妃マリー・ルイーズ
ランバル公妃はマリー・アントワネットの女官長を務めた女性でした。
フランス革命がおこった時もマリー・アントワネットを見捨てませんでしたが、そのために1792年9月2日から始まった九月虐殺で殺害されます。
この九月虐殺はパリの監獄で起こり、1万5千人ほどの人が殺害されました。
ランバル公妃は無残に殺され、体を切断されたとされています。
また、革命派たちは切断した頭部を槍に刺し、タンプル塔で王妃に見せ付けたという記録があります。
ポリニャック伯爵夫人
ポリニャック伯爵夫人はマリー・アントワネットの取り巻きの一人であり、フランス革命前はマリー・アントワネットの良い友人でした。
しかしフランス革命が始まったことにより、彼女はルイ16世とマリー・アントワネットを真っ先に見捨て、オーストリアに亡命します。
その後ウィーンで急死しました。
友人と言っても、彼女はマリー・アントワネットを見捨てたうちの1人です。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットには友人もいましたが、ポリニャック夫人のように最終的には彼女を見捨てた人々も少なくはありませんでした。
そんな中、最後までマリー・アントワネットに忠実だったのはエリザベートとランバル公妃だけだったと言えるでしょう。