マリー・アントワネットの死因とは何だったのか

マリー・アントワネットの死因とは一体どのようなものだったのでしょうか。

彼女は当時革命広場と呼ばれたコンコルド広場にて、ギロチンで処刑されました。

37歳という若い生涯を閉じたのです。

そんな彼女を処刑したギロチンは人道的な処刑器具とされていました。

皮肉なことにも、ギロチンの刃を斜めにした方が良いのではないかと助言したのはマリー・アントワネットの夫であるルイ16世でした。

それならば、彼女の死因は一体何だったのでしょう。

ここではマリー・アントワネットの死因について解説します。

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ギロチンの歴史

ギロチンというのは2本の柱の間に斜めの刃を落下させることにより、間に寝かせた死刑囚の首を切断することができる執行装置です。

それまでは役人などが首を切断していましたが、うまくいかない場合はなかなか首が切れず、受刑者が長時間苦しまなければいけない可能性があるということで人道目的で採用されたのです。

フランスにおいては1792年から1981年まで使われていました。

1939年まで公開で行われていましたが、人権意識が高まったことにより、目立つ場所では行われなくなっていたのです。

残酷な見た目ですが、ヨーロッパでは人道的な死刑装置として長く利用されてきました。

死因とは

ギロチンを使った場合、その死因は失血死だと考えられています。

首を切断した瞬間に痛いという感覚があるのかどうか、その後も意識があるかなどということに関しては様々な研究がありますが、なんといってもギロチンによって首を切断した人物は生きてはいませんので、確実なところはわからない状態です。

具体的には1905年6月28日、アンリ・ランギーユ死刑囚が処刑される時、死刑が執行された後に呼びかけに応じてまばたきをするように依頼しました。

ギロチンによって斬首した後、数秒後に医師が呼びかけると、アンリは数秒目を開けたという研究があります。

彼は2度の呼びかけに応じましたが、3度目には応じませんでした。

斬首後も生きている?

中には科学者がフランス革命で処刑された時、周囲の人に「首を斬られた後、自分は可能な限り瞬きを続ける」と述べて実際に瞬きを行った人もいると言われています。

しかし職員に関する書類にはそのような記述がなく、これは先ほど述べた1905年の研究を元にして作られた都市伝説だと言われています。

実際はこれらは筋肉の痙攣ではないかとも言われています。

というのは、斬首した瞬間、大量出血によって血圧が変化します。

それによって意識を失いますから、そもそもまばたきをすることはできないはずであるという研究結果もあるのです。

まとめ

いかがでしょうか。

このように考えるとマリー・アントワネットも斬首によって血圧が急激に下がり、意識を失い、出血によって命を落としたと考えられます。

つまり彼女の死因は失血死だと考えられるのです。

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