マリー・アントワネットの旦那であるルイ16世とは一体どのような人物だったのでしょうか。
フランス革命というと、どうしてもマリー・アントワネットの方がルイ16世よりも有名かもしれません。
彼女の方がもちろん華やかだったため、歴史的にも名前が出て来やすいのです。
それならば、彼女の旦那のルイ16世はどんなような人だったのでしょう。
ここではルイ16世について解説します。
無口な16歳
マリー・アントワネットは14歳の時にオーストリアからフランスに嫁いできました。
これは完全な政略結婚であり、2人は国境線の上でマリー・アントワネットの引き渡しのためだけに作られた宮殿で初めて出会ったのです。
ルイ16世は当時はオーギュストという王太子でした。
フランスに嫁ぐようにと言われて否応無く結婚することとなったマリー・アントワネットと同様、ルイ16世も当時の国王、ルイ15世から今まで会ったこともない女性との結婚を言い渡されたのです。
ルイ16世は無口であり、極めて地味な性格だったと言われています。
新婚生活は難しい!?
実は、ルイ16世は勃起不全という問題を抱えていたとも言われています。
マリー・アントワネットとの新婚生活はなかなかうまくいかず、特に子供ができないという事はマリー・アントワネットの母親、マリアテレジアも心配していました。
最初の子供は女の子でしたが、その後には男の子に恵まれ、その時には国中から祝福されました。
しかし、子供が生まれた後は良かったのですが新婚当初はなかなか難しく、ルイ16世は狩りに勤しみ、マリー・アントワネットは一人ぼっちだったと言われています。
2,000人以上の貴族が暮らしていたとされるベルサイユ宮殿において孤独を感じ、彼女は孤独を紛らわせるためにおしゃれに没頭していったのです。
家族を大切にしていた
フランス革命が勃発し、ベルサイユ宮殿で生活していた貴族たちはルイ16世とマリー・アントワネットを見捨てる形で亡命していきました。
それまではマリー・アントワネットの取り巻きの1人としてベルサイユ宮殿にいたポリニャック夫人はその中でも真っ先に国王夫妻を見捨て、オーストリアに亡命したと言われています。
そんな中、ルイ16世は旦那として、父親として、家族を心配しました。
自分はここに残るから子供たちを連れて逃げるようにとマリー・アントワネットに進言したのです。
しかし、家族が一緒にいるべきだと考えたマリー・アントワネットはそれを拒否し、ベルサイユ宮殿にとどまることを選びました。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットの旦那であるルイ16世により、フランスの王政は一旦廃止されました。
その後また王政が戻ってきますが、ルイ16世はフランス革命が起こったときの国王として、歴史上でも有名なのです。