マリー・アントワネットはフランス革命にどのようにかかわっているのか

マリー・アントワネットとフランス革命の関係とは一体どのようなものなのでしょうか。

マリー・アントワネットはフランス革命が起こったときのフランス王妃であり、同時ではありませんでしたが、夫であるルイ16世とともに死刑判決を受け、37歳という若さでギロチンにかけられ、処刑されました。

しかし、彼女はフランス革命にどのように関わって殺されたのでしょうか。

ここではマリー・アントワネットとフランス革命の関わりについて解説します。

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不幸な偶然

このフランス革命とマリー・アントワネットは非常に不幸な形で関わっています。

というのは、ついフランス革命というとマリー・アントワネットが贅沢をして王室の財政を傾けたかのように語られていますが、実はそればかりが原因ではありません。

この頃は1783年にアイスランドで噴火した火山の影響により、農作物の不作が続いていました。

それによって人々は食糧難に陥り、同時に物価高騰に苦しんでいたのです。

さらにフランス啓蒙思想が広がり始めており、人権というものが意識され始めた時代でもありました。

フランスの財政破綻

フランスの財政破綻はマリー・アントワネットの贅沢によって起こったものではありません。

ベルサイユ宮殿はルイ14世の時代に建てられ、これは絶対王政の症状でした。

しかし、このあとフランスの財政は急激に悪化していくことになります。

さらに1770年代のアメリカ独立戦争を支援したことにより、フランスの財政は最悪な状態となりました。

歳入の9倍もの負債を抱えていたとも言われています。

ですから、決してマリー・アントワネットの責任だけというわけでは無いのです。

また、マリー・アントワネット同様に周りの貴族たちも贅沢な生活をしていましたから、彼女だけの責任ではありません。

世間知らずなお姫様

とは言え、マリー・アントワネットはオーストリアから嫁いできた外国人でした。

また、華やかな生活が有名だったからこそ、フランス革命の犠牲になってしまったとも言えます。

フランス革命が起こったときには「オーストリア女」「赤字夫人」「魔女」などと呼ばれ、人々の反感を買っていたのです。

しかし、実は彼女に死刑判決を下すには十分な証拠がありませんでした。

そのため、彼女を処刑したいと考えていた人々は彼女から引き離した息子、ルイシャルルに対する近親相姦の疑いをかけ、マリー・アントワネットを処刑しようとしていたほどです。

まとめ

いかがでしょうか。

マリー・アントワネットとフランス革命は非常に不幸な形で関わってしまったとしか言いようがありません。

もしもマリー・アントワネットが豊かなフランスの王妃だったら、あのような悲しい結末は迎えなかったかも知れませんね。

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