マリー・アントワネットはどのような幼少期を過ごしたのでしょうか。
マリー・アントワネットと言えば、フランス革命の時にギロチンで殺害された悲劇の王妃、というイメージを持っている人もいるかもしれませんね。
それならば、彼女はどのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。
ここでは、マリー・アントワネットの幼少期について解説します。
マリアテレジアの娘
マリー・アントワネットは神聖ローマ帝国の女帝、マリアテレジアの娘として誕生しました。
ドイツ語名はマリア・アントニア・ヨーゼフ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンです。
オーストリアの宮廷は非常に家庭的であり、彼女は3歳年上の姉、マリア・カロリーナと同じ部屋で育ちました。
家族そろってバレエやオペラを鑑賞することも多かったと言われています。
モーツアルトのプロポーズ
実はマリー・アントワネットはあの偉大な音楽家、モーツアルト1歳年上であり、モーツアルトは同じ時期、当時神聖ローマ帝国の一部であったザルツブルグに生まれました。
モーツアルトは6歳の時にシェーンブルン宮殿に招かれ、マリアテレジアやその家族の前でピアノを披露したことがあります。
そんな時、モーツアルトは緊張して床で滑って転んでしまいました。
そしてマリー・アントワネットが手を差し伸べ、モーツアルトを助け起こしたのです。
その時モーツアルトは「ありがとう、マリア・アントニア。大きくなったらあなたと結婚してあげる」と言ったと伝えられています。
可愛らしい幼少期のエピソードの一つです。
フランスへのお嫁入り
本来はマリー・アントワネットと同じ部屋で育った姉、マリア・カロリーナがフランスの王太子、ルイ・オーギュストの元に嫁ぐ予定でした。
これはフランスとの仲を強めるための外交革命とも呼ばれています。
しかしナポリ王と婚約していたマリア・ヨーゼフが急死したため、マリア・カロリーナがそのナポリ王のもとに嫁ぐことが決まり、マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐことになりました。
運命というものはこのようにあっけなく変わってしまうことがあるのです。
このようにフランスへのお嫁入りが決まったマリー・アントワネットはフランス語などを勉強し、ベルサイユ宮廷では一度もドイツ語を話さなかったと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
マリー・アントワネットは家族に恵まれ、とても楽しい幼少期を過ごしていたと言われています。
フランスにお嫁入りをするという運命でなければ、幸せな人生を送ることもできたのかもしれませんね。